アヤソフィアの歴史

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アヤソフィアはトルコ・イスタンブールにおける最大の見どころ。まさに古代ローマの遺物とも言えるこの脅威の建造物は、その歴史を知る程興味がわいてくる。ここで要所を押さえておくと観光の楽しみが増える事請け合いです。

■ 早わかり!アヤソフィア

アヤソフィアにまつわるエピソードは数限りない。歴史的にも建築的にも宗教的にも世界的に重要な地位を築いてきた。

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アヤソフィアの名前の由来

アヤソフィアは、「ハギア・ソフィア」や「聖ソフィア」と表記される事もある。元々「聖なる叡智」という意味から来ている。

アヤソフィアを建てた皇帝たち

コンスタンティウス2世(360年2月15日)
テオドシウス2世(415年)
ユスティニアヌス1世(537年12月27日

アヤソフィアの建築家

アンテミオス
イシドロス

アヤソフィアの歴史

アヤソフィアは2度焼失している。始めに360年2月15日コンスタンティヌス大帝の子コンスタンティウス2世によって建立されたが、争乱の際焼失した。その後テオドシウス城壁を築いた事で有名なテオドシウス2世が415年に再建。これもニカの乱という市民反乱により焼失。そして、537年12月27日にユスティニアヌス帝の手によって現代に至るアヤソフィアが完成する。この巨大建造物が建設されたのが今から1500年前である事からもその建築技術の高さが伺える。

アヤソフィアは元々ローマ帝国の首都コンスタンティノープルに建てられた事からも明らかだが、キリスト教の大聖堂として作られた。現在見る事のできる4本のミナレットも存在しておらず、ドーム型の教会であった。

ローマ帝国は東西に分裂。早々に滅んだ西ローマとは裏腹に多いに勢力を広げた東ローマ帝国だったが、歴史と共に衰退化。ついにその領土にコンスタンティノープルを残すのみとなった。

周囲の領土を全て押さえたオスマン帝国のスルタン・メフメト2世の手によって1453年5月29日ついにコンスタンティノープルは堕ちた。この時をもって古代ローマ帝国は滅亡した。

ガラタ塔から撮影したアヤソフィア
ガラタ塔から撮影したアヤソフィア

イスラム教国であるオスマン帝国による支配となった事からアヤソフィアはモスクとして改修された。内壁を覆っていた美しい数々のモザイク画は全て漆喰で塗り固められ内部は質素なモスクへと変わった。4本のミナレットが建てられアヤソフィアはモスクとして生まれ変わったのだ。

現代になり、オスマン帝国も滅んだ。美術館として公開されたアヤソフィアでは漆喰が剥がされ東ローマ時代の美しいモザイク画が姿を現した。皮肉にも漆喰が覆っていた事でモザイク画が健全に保たれ1500年前の物にしては考えられないほど美しく鮮やかな色を残している。

 

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